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東京地方裁判所 昭和54年(ワ)10459号 判決

原告

定岡繁子

原告

定岡敏之

原告

定岡猛之

右法定代理人親権者

定岡繁子

右三名訴訟代理人

大塚重親

高木常光

井上勝美

石井嘉夫

黒須雅博

被告

株式会社ときわ相互銀行

右代表者

平井廸郎

右訴訟代理人

田口尚眞

主文

一  被告は原告ら各自に対しそれぞれ三〇八円を支払え。

二  原告らのその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

一  当事者の求めた裁判

(原告ら)

1  被告は原告ら各自に対しそれぞれ四五〇万円を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  第1項につき仮執行の宣言。

(被告)

1  原告らの請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

二  原告らの請求原因

1  訴外定岡正(以下「正」という。)は、被告銀行荏原支店において一、三五〇万円を受け取るため昭和五〇年四月四日北海道拓殖銀行旭川二条支店から被告銀行荏原支店の定岡正宛に右金額を振込み送金した。

2  被告としては、正が当時被告銀行荏原支店に口座を有していなかつたから、振込手続をした仕向銀行に対し理由を告げて返却措置をすべきであるのに、その措置にでなかつた以上、右振込金を別段預金ないし雑預金等その名称のいかんにかかわらず定岡正の預金として保管すべき義務がある。

3  正は、昭和五〇年五月八日死亡し、原告定岡繁子(妻)、同敏之(長男)及び同猛之(二男)の三名が相続分各三分の一の割合をもつて相続した。

よつて、被告に対し原告ら各自四五〇万円ずつ支払うよう求める。

三  被告の答弁と主張

1  請求原因第1項につき、原告ら主張の日時にその主張の金員が被告銀行荏原支店に振り込まれたことは認め、その余は不知。振込人及び受取人の氏名は「サダオカタダシ」であり、振込銀行は「タクギンニジョウ」支店である。

2  同第2項は否認、第3項は不知。

右振込みがあつた当時、被告銀行荏原支店にはサダオカタダシ(定岡忠)の普通預金口座(口座番号〇五七二六八)があり、振込まれてきた一三五〇万円は右口座に振替入金(以下「本件預金」ともいう。)された。

3  正は、兄弟が多く、当時、北海道旭川に居住していたが、東京都品川区中延で読売新聞西戸越販売所の名称で新聞販売店を経営している弟定岡信也(以下「信也」という。)及びタクシーの運転手をしていた弟定岡孝志の身の上を案じ、度たび上京し同人らの相談に応じていた。

本件振込みの約一月前ごろ、右兄弟ら協議のうえ、信也、孝志が協力して右新聞販売店を拡張し、生活の安定を図ることとなり、そのため正が投資し、信也はこの金を自由に営業資金として運用することができ、数年後右営業利益のなかから徐じよに返済していく旨の合意をした。

4  そこで、正は前記投資の実行として、当時、信也の取引銀行である被告銀行荏原支店に振込み受入れのための普通預金口座の開設を信也に依頼し、その届出印も預けたうえ、同口座に本件振込みをした。このことは、正の妻である原告繁子も十分承知のことである。

5  信也は、正との右約定に基づき本件振込みの二週間前ごろ被告銀行荏原支店の得意先係り佐々木輝夫に対し近日中に旭川の兄から相当額の振込送金があるから、そのときは連絡をしてくれるよう依頼した。

やがて、昭和五〇年四月四日タクギンニジョウ支店からサダオカタダシの依頼受取りで一、三五〇万円の振込みがあつたので、前記佐々木は信也にその旨を連絡したところ、信也は「定岡忠(サダオカタダシ」)名義の普通預金口座を開設し、その際正から預つていた印鑑を使用印として届け出た。

右口座が「定岡忠」名義とされたのは、信也が従業員に記名を依頼したため、「正」と書くべきところを「忠」と誤記したことによるものである。もとより、被告はかかる経緯を知る由もなく、片仮名で「サダオカタダシ」として振込まれてきたのでそのまま信也の開設した右定岡忠名義の口座に入金した次第である。

6  その後における前記口座の払戻し及び入銭の状況は次のとおりである。

(一)  昭和五〇年四月一八日 一〇〇万円 払戻し

(二)  同日 六六万八七三円入金(これは同月一四日取立依頼による手形金の振替である。)

(三)  同月一九日 一〇〇万円 入金

(四)  同年六月一七日 一〇〇万円 払戻し

(五)  同月一八日 六一六万円 払戻し

(六)  同月一九日 七〇〇万円 払戻し

右最終払戻日の残高は九二三円である。そして、前記払戻しは、いずれも信也が正との右約定により同人の投資金を自由に運用するため行つたものである。従つて、これによる払戻しは有効であり、残高は右の限度にすぎない。

7  仮に本件預金の預金者が正であつたとしても、同人と被告との預金契約の際の普通預金規定によれば、払戻請求書に使用された印影につき届出印鑑とを相当の注意をもつて照合し、相違ないものとして取扱つたうえは、被告は免責される旨の免責特約が存するところ(同規定第七項)、被告は本件預金の上記払戻請求書の印影と届出印鑑とを相当の注意をもつて照合し、相違ないものと碓認したうえ、払戻しに応じたのであつて、被告は免責される。

8  のみならず、被告は本訴に至るまで正の死亡事実を知らなかつたものであり、本件預金の払戻しについては、民法四七八条にいう債権の準占者に対する弁済として有効である。

四  被告の主張に対する原告らの反論

1  民法四七八条の債権の準占有者に対する弁済として有効であるためには、弁済者が善意無過失であることを要するところ、被告には次のとおり善意無過失の要件を欠くから本件預金の払戻しは無効であり、被告主張の免責約款によつても軽減されない。

(一)  信也は、被告銀行荏原支店とかねて取引があり、「サダオカタダシ」なる人物は同人の兄であり、信也とは別人であることを本件預金口座開設の直前に告げている。

(二)  被告銀行荏原支店に定岡忠名義の本件預金口座が開設されたのは、信也の申出によるものであつて、同預金に使用する届出印鑑は、その際信也所持の印判をもつてあてた。

(三)  被告は、本件預金につき定岡忠名義の普通預金通帳を発行したが、預金者本人である定岡正に面接するとか、あるいはその他の方法で同人につき確認することもなく、漫然と弟と称する信也に右通帳を交付し、印鑑を持ち返らせた。

2  「定岡正」による本件一、三五〇万円の振込送金を被告荏原支店が「定岡忠」名義の普通預金口座に入金処理したのは、誤りである。

しかし、仮に右入金が被告の過誤により定岡忠名義の普通預金口座に入金処理されたとしても、その出捐者は定岡正であり、その預金者はあくまで同人である。

五  証拠〈省略〉

理由

一北海道拓殖銀行二条支店から昭和五〇年四月四日被告銀行荏原支店に対し一三五〇万円が振込まれたことは当事者間に争いがないところ、原告らは右振込みによる預金(本件預金)が亡正のものであり、原告らはその相続人として本件請求に及んだものであると主張し、〈証拠〉によれば、正は昭和五〇年五月八日死亡し、妻である原告繁子、長男敏之、二男猛之が各自三分の一ずつ相続したことが認められる。

二まず、本件預金の帰属について判断する。

〈証拠〉を総合すると、本件預金がなされるに至つた経緯は次のとおりであることが認められる。

1  亡正には兄弟が多く、同人は三男であり、信也は五男、孝志は六男であつたが、正は昭和五〇年三月ごろ北海道旭川市の勤務先を退職することになり、当時、東京都品川区中延二―六―二三において読売新聞西戸越販売所を経営していた信也に対し、東京で仕事をしたいからとりあえず一、三五〇万円を送金するので、振込先の口座番号を知らせるようにと電話による連絡をした。

2  信也は、正からの右依頼に基ずき信也の取引銀行である被告銀行荏原支店に兄正名義の普通預金口座を開設することにし、同支店従業員佐々木に対し送金振込みがあり次第連絡するよう依頼したり、その届出印として使用するため「定岡」と刻んだ丸印を作成して準備し、自己の留守に備え、従業員榎本に前記丸印を預け、佐々木から右連絡があつた場合には同人にこれを渡すよう頼んだ。

3  定岡正から昭和五〇年四月四日北海道拓殖銀行二条支店より被告銀行荏原支店に対し受取人の住所を「東京都品川区中延二―六―二三読売新聞西戸越販売所」とし、受取人の氏名を「定岡正(サダオカタダシ)」として一、三五〇万円が振込まれた。

4  他方、被告銀行荏原支店では、右同日五〇円を預入れて預金名義人を「定岡忠」とし、その住所を「品川区中延二―六―二三」とするオンライン普通預金口座(口座番号〇五七二六八)が開設されたが、その際、信也方の従業員榎本から前記「定岡」なる丸印を届出印として提出されたのであり、ただ、預金名義人が「定岡忠」となつたのは、榎本が信也から「定岡正(サダオカタダシ)」名義とする旨を聞いたのに同音の「定岡忠(サダオカタダシ)」と誤記したことによるものである。

5  そして、同日北海道拓殖銀行二条支店から被告銀行荏原支店に振込み送金された一三五〇万円は上記定岡忠名義の預金口座に入金された。

その後、間もなく正は上京して信也宅などに約二週間滞在したが、その間、正、信也及び当時タクシー運転手をしていた孝志、信也の義弟内田慧の四名が協議したすえ、右兄弟相協力して信也の新聞販売店事業を拡大させることにより各自の生活安定を図る旨の合意が成立し、正は右事業拡大の資金に充てるため信也が自由に本件預金の払戻しを受けることを包括的に許し、いつたん同人から交付を受けていた前記預金通帳と印判を信也に引渡した。

以上の事実が認められ、他に同認定を覆すに足りる証拠はない。

そこで、上記認定事実に照らして考えてみると、本件預金の出捐者は正であり、それが信也ないし同人の意を受けた榎本により開設されたところの被告銀行荏原支店のオンライン普通預金口座に振込み入金されたものであつても、右信也ないし榎本は正の代理人又は使者として行為したものと認められ、その預金者名義が「定岡忠(サダオカタダシ)」とされたのは、オンラインによる振替入金票が受取人名を片仮名で「サダオカタダシ」として表記されており、かつ、信也の使者として前記口座開設の手続をした榎本が信也から定岡正名義とする旨の指示を受けながら同音の「定岡忠」と記載したことが重複したため誤記されたことによるものと認められるから、本件預金の預金者は正であるというべきである。

三次に、本件預金払戻しの効力について検討する。

1  本件預金は、前記認定のとおり口座開設時に五〇円、その後振込みにより一三五〇万円合計一三五〇万五〇円の残高であつたところ、〈証拠〉に弁論の全趣旨を総合すると、

(1)  昭和五〇年四月一八日 一〇〇万円払戻し

(2)  同日 六六万八七三円入金

(3)  同月一九日 一〇〇万円 入金

(4)  同年六月一七日 一〇〇万円 払戻し

(5)  同月一八日 六一六万円 払戻し

(6)  同月一九日 七〇〇万円 払戻し

以上の入金と払戻しが行われ、現残高は九二三円であること、右入金及び払戻しはすべて信也によつて行われたことが認められる。

2  ところで、信也が新聞販売店事業拡大のための資金に充るため本件預金の払戻しにつき正から包括的な許可を与えられていたことは上記認定のとおりであるから、少なくとも正が死亡した昭和五〇年五月八日以前である同年四月一八日一〇〇万円の払戻しについては、信也は正からその代理権を授与されていたものと認むべきであり、右払戻しの有効なことは明らかである。

3  しかしながら、証人定岡信也の証言によると、正の死亡は自殺であることが認められ、正が信也らと共同して新聞販売店事業を行うことは正の死亡により不可能に帰したのであるから、同人が遺言等により本件預金の処分について信也に対し新たに権原を賦与した事実がない以上(このような事実は認められない。)、正が信也に与えた本件預金払戻しに関する前記代理権は正の死亡によつて消滅したものと解するのが相当である。

4  そこで、被告主張の免責約款の効力ないし債権の準占有者への弁済としての効力について考える。

〈証拠〉に前記認定事実を総合すると、本件預金に適用があるとみられる普通預金規定によれば、被告の免責条項として、払戻請求書または諸届出書類に使用された印影を届出の印鑑と相当の注意をもつて照合し、相違ないものと認めて取扱いをしたうえは、それらの書類につき偽造、変造その他の事故があつてもそのために生じた損害については、被告は責任を負わない旨の定めがあること、信也による本件預金の払戻請求については、いずれも預金取引原簿に届出られた印鑑と同一の印影である「定岡」なる丸印が使用され、預金通帳とともに被告銀行荏原支店係員に提出されたので、被告の同係員は払戻請求書に押捺の印影と届出印鑑とを照合のうえ右払戻請求に応じたものであること、信也はそれまで既に正の代理人として右印判と通帳を使用して入金と払戻しの手続をしたことがあること、被告は正が昭和五〇年五月八日死亡の事実は本訴に至るまで全然知らされていなかつたこと、以上の事実が認められ、他に同認定に反する証拠はない。

前認定の事実に照らすと、被告が信也の払戻請求に応じて、昭和五〇年六月一七日に一〇〇万円、同月一八日に六一六万円、同月一九日七〇〇万円を支払つたについては、被告は信也に権限ありと信じていたものと認められ、かつ、そのように信ずるにつき被告に過失があつたものと認むべき証拠はない。

そうすると、被告は債権の準占有者に対する弁済として右払戻しの有効性を主張することができるものと判断する。

四叙上の次第で、本件預金は現時点で残高九二三円にすぎず、これを原告ら三名が各三分の一の相続分に応じて権利を取得したことになるので、本訴請求中各自三〇八円の支払を求める限度で認容し、その余を失当として棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条但書を適用し、主文のとおり判決する。

(牧山市治)

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